ケーブルの渦電流問題 - 概説

1. 渦電流問題の重要性

ケーブル(electrical cable)の電気特性として重要なのは、 単位長あたりの

ですが、 ポリエチレンなど無極性の 優れた絶縁材料を使えば コンダクタンスを無視できることが多く、 キャパシタンスも測定や計算が容易で 1 GHz 以上の周波数まで、 周波数依存性がありません。

しかし、導体の抵抗と導体の内部インダクタンスは 不可避的周波数依存性(frequency dependency)を持ち、 その計算も簡単とは言えず、 しかも、ケーブルにとって極めて重要な

  1. 減衰特性 - 損失
  2. 位相特性 - 遅延、歪
に、不可避かつ重要な役割を果たします。

高周波ケーブルの減衰特性には周波数の平方根に比例して増加するという 他の電子部品には見られない特異な性格がありますが、 これは表皮効果(skin effect)など、 導体中の渦電流(eddy current)に起因しています。

また、広帯域のパルス伝送では、 通常の電子回路では見られない、 独特の立上り波形になって、 ジッタ(jitter)など、高速伝送の問題の種になりますが、 これも、同じ原因です。

つまり、表皮効果、近接効果、シールドや他の導体に生ずる渦電流の影響といった 問題の理解抜きでは、ケーブルの電気特性は理解できないのです。

2. 導体中の渦電流 - 現象とメカニズム

直流の場合は導体に流れる電流は一様に分布しますが、 交流の場合はまるで様相が違ってきます。 この違いは

  1. 電流間相互インダクタンス (無数の電流間電磁誘導相互作用)
  2. 表皮効果 (電磁波の導体内部への侵入の深さ)
の2つによって生じるもので、 低周波では電流の性格に起因する インダクタンス(inductance)の効果が主因となって、 電気抵抗は周波数の自乗に比例して増加し、 導体内部インダクタンスは周波数の自乗に反比例して減少します。 一方、高周波になると 電磁波の性格に起因する侵入の深さ(skin depth)が主因となって、 電気抵抗は周波数の平方根に比例して増加、 導体内部インダクタンスは周波数の平方根に反比例して減少します。

低周波の場合は相互誘導、すなわち、 導体を流れる電流によって生じた磁場の時間的変化により、 導体内部に元の電流を打ち消す方向 (でないとエネルギが自己増殖してしまう)の誘導起電力を生じ、 導体断面の電位が等しくなるように電流分布が変わります。 その結果として導体の内部インピーダンスが最小、 つまり電流が最も流れやすくなるのですが、 現象的には電流が導体表面や導体端部に集中し、 これがインダクタンス(電磁誘導)の効果です。

ところが高周波になると、 表皮効果により電流が導体表面のごく薄い部分にしか流れなくなるため、 電磁誘導で動かせる電子自体がなくなってしまいます。 これは電磁波の性質です。

多くの出版物や解説では、 この二つの原因を峻別することなく「表皮効果」の用語を使うため、 間違った説明や解釈が無数に見られますので注意してください。

なお、A.E.Kennelly によれば、 表皮効果(skin effect)の命名は 1891 年イギリスの J.Swinburne によるものだそうです。

この電磁誘導による導体内部の起電力は、 電流源となる導体だけでなく、 往復導体の帰路側導体や、 シールド導体(shield conductor)など、 ありとあらゆる導体に発生しますから、 かなり複雑な現象となって、 その重用度と歴史的事情から、 下記のように分類するのが普通です。

  1. 表皮効果(skin effect) - 意図的に電流を流す導体内部に発生する、 高周波電流が導体表面に集中する現象
  2. 近接効果(proximity effect) - 隣接する導体に流れる電流が原因で、 電流が隣接導体に引き寄れられる(逆方向電流の場合)、あるいは、 隣接導体から遠ざけられる(同方向電流の場合)現象
  3. シールド内渦電流 - シールド付きケーブル内部の導体により 発生するシールド内渦電流による電気特性への影響
  4. 隣接導体内渦電流 - 導体により他の導体内部に発生する 渦電流による電気特性への影響
例えば、対撚線(twisted pair)では、 往復 2 本の導体それぞれに生ずる表皮効果に加えて、 それぞれの導体内部の電流分布が隣接導体側に偏る近接効果の両方が発生します。 シールド付きであれば、さらにシールド導体に生ずる渦電流の影響が加わり、 多対シールドケーブルなら、他の対を構成する導体に生ずる渦電流の影響が加わります。

電気回路的には(自己・相互)インダクタンス(inductance)と 電気抵抗(resistance)として解釈できるのですが、 単一導体でも、無限に小さな導体の無限個の回路になりますから、 結局のところ偏微分方程式を解くことになります。 ただし、低い周波数で電流分布が一様に近い場合は、 適切に導体を分割して、電気回路として解いても、良い近似値がえられます。

3. ケーブルの渦電流問題の簡単な歴史

この種の交流電流に於ける電流の偏在効果(current distortion efect) については電磁気学や電気工学の誕生から今に至るまで続いていますので、 論文の数も多く、歴史的に知られる研究者の多くが手掛けてきました。 ここでは、この後の解説で必要になる解析的解法の重要なものに限定して説明します。

まず、単線導体の表皮効果については、1873 年に電磁気学の創始者 Clerk Maxwell (注1)自身の解析があって、 その解は通常第1種 Bessel 関数で表現されます。 1886 年には Lord Rayleigh が無限平板の表皮効果を解析し、 1909 年には A.Russel が同軸送電線つまり円筒導体の表皮効果を解析、 1915 年に A.E.Kennelly, F.A.Laws, P.H.Pierce による 5 kHz までの 組織的詳細な実験結果が報告され、 1916 年には A.E.Kennelly, H.A.Affel により 100 kHz の周波数まで拡張された結果が 発表されました。(注2)

1918 年には H.B.Dwight が単独円筒(isolated tube)の Bessel 関数による完全な解と 低周波に於ける薄い平板(thin strap)の表皮効果の解析結果を公表し、 その後もこの分野で活躍を続けます。

近接効果については、 1921 年には ATT の J.R.Curson により2芯往復導体の近接効果の完全な解析解が得られました。 (注3)

1922 年になると、 Chas.Manneback が表皮効果の積分方程式による新しい解法を発表しました。 (注4) ここで得られた、隣接する線電流による円形導体の渦電流の計算をもとに、 1923 年に H.B.Dwight が円形導体と薄肉円筒の近接効果の完全な解析と、 1927 年には円形導体群の近接効果の解析を行い、 多条送電線など広範囲の解析ができるようになりました。 (注5)

同年、J.E.L.Tweeddale は H.B.Dwight の手法により、 7芯導体の各種の導体間隔について計算を行い、 Kennelly と Affel の実測結果を検証しています。 (注6)

この問題の解析はその後も連綿と続き、ヨーロッパでも 1972 年にはベルギーの Vitold Belevitch による多芯ケーブルの近接効果を含む 一連の研究が発表されています。 (注7)

コンピュータが実用化された後は、 偏微分方程式や積分方程式の離散化による数値計算が実用化され、 数多くの手法が開発されましたが、 渦電流問題は特殊な場合を除いて電磁場が無限に広がる開領域問題になるため、 いろいろな工夫が必要で、面倒な計算になります。 (注8)

最近は物理的機構を理解せずに、 市販の数値計算プログラムに頼るケースもよく見られますが、 使いかたを間違えたり、 その数値計算法の限界を把握せずに使い、 とんでもない誤りをしても気づかないといった事例が多く、 解析的計算は重要です。

4. 数値計算

コンピュータが普及する以前は数表を使った忍耐の要る計算をせざるを得なくて、 ケーブルの渦電流問題では、 複素数の Bessel 関数の計算が不可欠ですから、 Kelvin関数と呼ばれる実数関数 bern(x), bein(x), kern(x), kein(x) の数表を作って計算していました。

  bern(x) + j*bein(x) = Jn(x*j*sqrt(j)) = In(x*sqrt(j))
  kern(x) + j*kein(x) = jn*Kn(x*sqrt(j))
  ここに、
	j = sqrt(-1)
	Jn(x) = n 階の第1種 Bessel 関数
	In(x) = n 階の第1種変形 Bessel 関数
	Kn(x) = n 階の第2種変形 Bessel 関数

電気工学分野では、この問題の解析に貢献した H.B.Dwight が詳細な数表を作成し、 その結果を含む

  Herbert Bristol Dwight,- TABLES OF INTEGRAL AND OTHER MATEMATICAL DATA
	(Mcmillan Publishing Co., Inc), 1957
は今でも入手できますが、なかなか使いやすい本です。

コンピュータが手軽に使える今の時代は、 この必要がなくなって、プログラミングを書けば済むわけですが、 複素数が使えるプログラミング言語のほうが楽ですから、 この解説では、c99 の実装が進んできた最近の c を使うことにして、 動作確認には FreeBSD-8.4 (gcc 4.2.1) と FreeBSD-10.3 (clang 3.4.1) の c を使うことにしました。

理工学にとって、コンピュータプログラミングは 具体的な結果を得るための計算だけでなく、 理論や数式を理解するためにも極めて重要です。 数式を計算するためのアルゴリズムがわかって、プログラムが書けると、 数式の意味がより深く理解できます。

以下、これらの問題の基礎を具体的なプログラミングを含めて解説します。

導体の渦電流問題 (1) - 表皮効果

5. 注

5.1. 注1 - 単独円柱導体の表皮効果

  James Clerk Maxwell,- A TREATISE ON ELECTRICITY & MAGNETISM, Vol. 2
	DOVER PUBLICATIONS, INC. (ISBN (978-0-486-60637-8
の paragraph 680 です。 今でも安価かつ容易に入手できますので、 物理学や電気工学を専攻する技術者は偉大な先人の仕事を見ておきましょう。 この歴史的著作を一見して、その重要性に気いて生涯を電磁気学の探求にささげ、 (A) から (L) までの 12 の複雑な関係から現在のシンプルな美しい方程式を見抜いた Heaviside の凄さにも感動すると思います。 books.google.co.jp などで PDF でも見られますが、印刷のほうが見やすいです。

5.2. 注2 - 表皮効果、近接効果の実測

  A.E.Kennelly, F.A.Laws and P.H.Pierce,- Experimental Rsearches on Skin Effect
	in Conductors, Trans. A.I.E.E., 1915, p.1953

  A.E.Kennelly and H.A.Affel,- Skin Effect Resistance Measurement, Proc.
	Inst. of Radio Engineers, May, 1916
表皮効果、近接効果の測定は難しいため、これ以前には計算結果だけが存在していて、 実験的な検証ができませんでした。この重要な実験のおかげで、 この後、いろいろなケースに対する解析が進むことになります。

測定手段としては、最初の論文で Heaviside Bridge、 次の論文では Inductance Bridge を使っています。 試料としては、円形断面の単線銅導体によるループと平行線、 銅とアルミの7芯撚導体、板状導体、円筒導体、スロット付チューブ、 半円筒など多様な形状と導体間距離について 表皮効果、近接効果、 平板状導体の端部に高周波電流が集中するエッジ効果(edge effect)、 撚線導体の撚による損失の増加と撚ピッチの影響を実測しています。

Kennelly は交流理論の発明者ですが、最初の職場は Edison の研究所で、 交流反対キャンペーンをさせられていました。 この実験は後の MIT 時代になります。

なお、アメリカの論文のほとんどは IEEE Xploreで容易に入手できます。

5.3. 注3 - 近接効果の解析

  J.R.Curson,- Wave Propergation over Pallalel Wires: The Proximity Effect,
	Phil. Mag.,April,1921,p.607
26 ページの長い論文で複雑な Bessel 関数の級数の組合せになりますが、 これは後の H.B.Dwight の仕事でも同じです。 AT&T 時代の Carson は多対ケーブルのクロストーク解析などの伝送線路に関する仕事以外に、 初期の無線通信の仕事もしていて、 SSB (single-sideband modulation) の発明者でもあります。

5.4. 注4 - 表皮効果の積分方程式による解析

  Chas. Manneback,- An Integral Equation for Skin Effect in Pallalel Conductors,
	Journal of Math. and Physics, April, 1922
これ以前の解析は偏微分方程式を使ったものですが、 ここでは導体内部の電流分布の積分方程式を解く方法を使っています。 積分方程式は電磁場が無限に広がる開領域の問題に適した手法です。

5.5. 注5 - 多導体系の解析

  H.B.Dwight,- Proximity Effect in Wires and Thin Tubes,
	A.I.E.E., Swampscott, Mass, June 25-29, 1923

  H.B.Dwight,- Proximity effect in group of round wires,
	Gen. El. Rev, p531-536, November, 1927
Bessel 関数の無限級数の無限個の組合せですが、 収束が速いので、当時の数表と人力も計算可能になりました。

5.6. 注6 - 7芯導体系の解析

  J.E.L.Tweeddale, Proximity Effect in a Seven-Strand Cable,
	Trans. Am. I.E.E. 46, p1148-1152, 1927

5.7. 注7 - 多芯ケーブルの解析

  V.Belevitch,- Theory of the Proximity Effect in Multiwire Cables,
	Philips Res. Repts. 32, 16-43, 96-117, 1977
Part 1, Part2 の二部構成で、電話の Quad Cable の実回線と重信回線について、 シールドや他の導体に発生する渦電流損失を含めて解析しています。 V.Belevitch は Philips の研究所で伝送線路に関する多くの仕事を残していますが、 S-parameter の発明者でもあります。 また、長方形断面と楕円形断面の導体の渦電流を解析した別の論文では、 Kennelly の Edge Effect を lateral skin effect と呼んでいます。

5.8. 注8 - 数値計算時代の解析

実に多くの論文がありますが、例えば
  Michael J.Tsuk,- A Hybrid Method for the Caluculation of the Resistance
	and Inductance of Transmission Lines with Arbitrary Cross Section,
	IEEE Trans. on Microwave Theory and Techniques, vol 39, No.8, August, 1991
時代のと興味の対象が電話回線からマイクロ波へと変わり、 コンピュータによる微分方程式や積分方程式を離散化して解く手法が いろいろ開発されてきましたが、 ここでは、周波数が低い場合は導体断面を一様な電流を仮定した三角形に分割して 幾何学的平均距離を使う解法、 周波数が高い場合は導体表面の磁気ベクトルポテンシャルを使う方法の組合せで、 広い周波数範囲に対応しています。

平林 浩一, 2016-08