これは、1985 年の「Computer Report」という雑誌の原稿として書かれたものです。 UX-300というのは、 1982 年に発売された東芝製のミニコンで、 OS は UNIX V7 (1979 年) をベースに日本語を扱えるようにした、 日本で始めての Unix マシンです。
外部インタフェースは当時のミニコンらしい、多数のシリアル(RS-232)ポートと GP-IB。シリアルポートには、 縦型 15 インチのグラフィックス機能を持つ先進的ディスプレイ、 漢字フォントを持つ 24 ドット・インパクト・プリンタの他、 RS-232 インタフェースや GP-IB インタフェースを持つ、 多くの計測機器やデバイスが接続可能で、 技術用途から事務処理まで、何でもこなせるユニークかつ画期的設計でした。
CPU は東芝が開発した T-88000 という 16 bit CPU で、 65 kB のプログラム・メモリと 64 kB のデータ・メモリという、 PDP-11 とよく似た設計です。
これに、1 MB のメモリと 46 MB の HDD 2 台、 30 MB のカートリッジ磁気テープというシステムですから、 今から見たら、極めて貧弱ですが、 このメモリで yacc, lex, c を使った awk のコンパイルが出来ていましたから、 当時の Unix の効率の良さがよくわかります。
当社の場合は、この直前まで、当時としてはごく普通の、 COBOL と FORTRAN が使えるオフィスコンピュータを使っていて、 あまりの使いにくさに辟易していたとき、 Bell Lab. で開発された Unix の論文を見て感動し、 切替えるチャンスを待っていました。
16 bit マシンの UX-300 の後は 32 bit マシンの UX-700 に切替え、 その後、Sun の Unix サーバを経て、 IBM 互換機の FreeBSD で現在に至っています。 (注1)
この原稿には、当時の、固定長バイナリ・データ・ファイルを基盤にした、 COBOL というプログラミング言語と、その OS という時代が背景にあって、 コンピュータネットワークも低速モデムで UUCP 接続していた時代ですから、 今とはまるで環境が違うのですが、X11、LAN、WAN、インタネットが加わった、 現時点でも依然として最も無駄のないメカニズムとして現役ですから、 Unix の思想と実装が、いかに優れていたか、よくわかります。
33 年後の 2018 年末に、この注を追加しましたが、 IBM 互換機の FreeBSD で仕事という状況は変わっていません。 この分野の技術進歩は凄まじいのですが、 Unix ベースで仕事をしている点では変わっていないのです。 33 年前に書いたプログラムも、 C 言語の仕様の変化に合わせた僅かな書き換え以外に変わっていませんし、 それが時代遅れにもなっていません。 Unix の思想が、いかに優れていたかは歴史的にも明らかです。
平林 浩一, 1985-09 (雑誌 Computer Report 1985/09,10), 2013-05, 2018-12-28