温度定格と絶縁物の耐熱性

電線を始めとして、絶縁物を使った電子・電気部品には「 温度定格」(temperature rating) という指標がありますが、この数値の意味を理解するための原理を解説し ます。

1. 絶縁物の熱劣化

一般に絶縁体として使われる高分子を長時間高温に晒すと 劣化して絶縁物としての 機能が低下したり失われたりしますが、その機構には下記のようなタイプがありま す。

 劣化 -+- 分解 -+- 解重合
     |      +- ランダム分解
     +- 酸化

解重合というのは重合反応の逆の過程で、主鎖末端から切断を開始し、ちょうどジ ッパーを開くようにモノマを一つ一つ切り離しながら進行します。ランダム分解の ほうは純粋な確率過程で主鎖がでたらめに切れるものです。例えば、ポリメタクリ ル酸は解重合により分解してメタクリル酸メチルのモノマになりますし、ポリエチ レンはランダム分解して、いろいろな長さの炭化水素になります。多くの高分子は この中間で、一部は解重合し、一部はランダム分解します。

また、高分子を空気中で使うと 100 度(C)程度から 酸化が激しくなり、物性の劣化 を生じます。この酸化は高分子の軟化点よりはるかに低い温度で始まり、これに伴 って高分子の分解が起きるため、絶縁材料の工学的劣化の主要因になります。

いずれにしても熱劣化は高分子の絶縁材料の高温に於ける 化学的変化を原因とし た工学的物性の劣化になりますが、たったこれだけの事実を物理化学 の「反応速度論 」と結びつけることで 「あっ」と驚く結論が得られます。以下、その結論の解説です。

2. 化学反応の速度

化学反応の速度を「反応速度係数」 k で下記のよう に表すことにすると(注1)

  k = (d/dt)(C)                                                   (2.1)
  ここに
	k = 反応速度定数
	C = 反応によって生ずる生成物
	t = 時間
絶縁物を含む多くの物質で「アレニウス」(Arrhenius)の式

  k = A*exp(-Ea/(R*T))                                            (2.2)
  ここに
	k = 反応速度定数
	A = 定数
	Ea = 活性化エネルギ
	R = 気体定数 = 8.3144 J/(K*mol)
	T = 温度 (k)
が成り立つことがわかっています。(注2)

A と Ea は物質に固有 の値です。高温になると k が大きくなって反応が速く進む ことに注意してください。

(2.1) と (2.2) から k を消去して積分すれば

  C = A*∫(exp(-Ea/(R*T))*dt                                       (2.3)
ですが、 熱劣化で生成される反応物質の量が劣化の程度を表します から、寿命がき たと判断される C の限界値を Ce とすれば、 寿命時間 te は次の関係を満たしま す。

          te
  Ce = A*∫(exp(-Ea/(R*T))*dt                                      (2.3)
         0
  ここに
	Ce = 寿命と判断される反応生成物の量
	te = 寿命時間(寿命に至るまでの時間)
今、 全使用期間で同じ温度を維持することにすれば 、T が時間に関係なく一定にな りますから、(2.3) は簡単に積分できて、

  Ce = A*te*exp(-Ea/(R*T))                                          (2.4)
になります。つまり、 寿命に達するまでの時間と使用温度の関係 が決まります。 従って、

  log(Ce/A) = log(te) - Ea/(R*T)                                    (2.5)
と表現できますから、 横軸を 1/T 、縦軸を te として、前者を普通目盛、 後者を対数目盛の半対数方眼紙にプロットすると直線になり 、直線の傾きは活性化エネルギで決まります。

(2.5) 式の直線の傾きは絶縁物の場合、 耐熱クラスの低いもので使用温度が 8 C 上昇すると寿命時間が 1/2、耐熱クラスが高いものでも使用温度が 10 C 上昇する と寿命が 1/2 になるのが普通 で、「8 度 C 寿命半減則」 などと呼ばれていますが、 この性質を利用すると、材料の品質評価を短時間で済ませるための「加速寿命試験」 と、使用温度が変化するときの「寿命予測」ができます。

3. 加速寿命試験

(2.5) 式の重要な応用の一つが「 加速寿命試験 」(accelerated aging)とよばれる もので、これは、 実際の使用温度より高い温度で劣化特性を調べることで、 長期間使用される材料の品質評価を短時間で済まそうというものです。

もちろん、その試験温度は化学反応のメカニズムが変わらない範囲でなければなり ませんが、8 C 上昇で 1/2 という材料にしても 80 C も高い温度なら 1/1024 の 時間で済みますから、製造ロット単位の検査も実用になります。

4. 寿命予測

加速寿命試験では終始同じ温度で劣化させますが、実際の使用状況では温度は一定 ではありませんから、

  T = Tk (t_k-1 <= t < t_k)
温度が段階的に変化する場合を考えます。つまり、
   0 <= t < t1 で T1
  t1 <= t < t2 で T2
  t2 <= t < t3 で T3
  ..
  t_n-1 <= t <t_n で Tn

というステップ状の温度変化ですが、このケースでは (2.3) 式は

          n
  Ce = A*Σ(t_k*exp(-Ea/(R*Tk)))                                   (3.1)
         k=0
になって、終始温度 Tk で劣化させたときの関係
  Ce = te*exp(-Ea/(R*Tk))                                          (3.2)
から exp() の項を消去すれば、
   n
  Σ(t_k/te) = 1                                                   (3.3)
  k=0
という明解な法則が得られます。つまり、 ある温度 T で t 時間使用すると全寿命時間の

  t/(温度 T に於ける寿命時間)                                      (3.4)
だけ寿命を縮める
という意味で、使用状況に対応した (3.4) を積算して 1 (寿命) になればおしまい ですから、 この規則だけであらゆる状況に対する寿命が計算でき ます。もちろん、 温度の時間的経過が連続的に変化するときは積分しなければなりません。

(3.3) の関係は 1945 年にM.A.Minerが機械材料の繰返疲労問題で提案した ものとまったく同じであることに注意してください。機械工学分野では 「Miner の法則 」と呼ばれています。

5. 寿命の判定

絶縁材料の劣化による物理的変化は例えば

といったものがあって、劣化を評価する尺度 もいろいろ考えられますが、ワイヤ・ ケーブルの絶縁材料では、下記のような特性変化を利用するのが普通です。

なかでも抗張力と伸びはよく使われ、例えば UL 規格では初期値の 70 % から 65 % 程度に劣化したところを寿命と判定し、寿命時間が 2,500 時間程度になる温度をそ の絶縁材料の温度定格としています。よく使われる 80C, 90C, 105C 定格の 「PVC 絶縁電線」について (2.4) 式のパラメータを計算すると、次のようになって いることがわかります。 T は使用温度(℃)です。

温度定格寿命時間 (H)
80 Cexp(10726.3/(T+173)-22.6644)
90 Cexp(12190.5/(T+273)-25.8163)
105 Cexp(13775.8/(T+273)-28.5576)

物性の劣化は連続的に進みますから、どこを寿命と考えるかには大きな 恣意性があり ますが、最後の判定は「長年の使用実績」しかありません。例えば、「耐電圧試験」 で「電圧倍率2倍の1分間」という常識(?)がありますが、これを規格に採り入れた 根拠は「過去50年に渡る人類の経験」といったことになります。もちろん過去の 実績に拘るケースばかりではなくて、最近の規格では「15 秒」とかいったものもあ ります。

熱劣化による絶縁耐力の低下は予測が難しいものの1つですが、50 % に低下したと きを寿命と見倣すと、機械的な抗張力と伸びの劣化と一致すると考えてよいケース が多いようです。

6. 絶縁物の耐熱区分

「JIS C4003 電気機器絶縁の種類」には下記のような耐熱区分があって、よくいろい ろな電気機器の仕様にでてきます。

区分最高温度(C)主な材料
Y90無処理天然繊維
A105処理天然繊維
E120ポリエチレンテレフタレート
B130マイカ、ガラス、アルキッドレジン
F155マイカ、ガラス、シリコーンアルキッドレジン
H180マイカ、ガラス、シリコーンレジン
C180<無機
注: アルキッドレジンはポリエステルの別名

この奇妙な命名は歴史の産物で、まず 1913 年に、複素数による交流理論を築きあ げた偉大な電気工学者「スタインメッツ」が A, B, C の区分を提案し、その後、 第2次大戦中に 180 C という高温に耐える「シリコーンレジン」が開発されて 絶縁材料に革命的変化を与え、多分 High Temperature を考えた命名だと思います が H 種と命名。その後 B と H の中間で D が提案されたのですがこれは消滅。 ポリエチレンテレフタレート(ポリエステル)が開発されて E 種として認知され、 さらにシリコーンとポリエステルをかけあわせた材料が F 種として追加され、戦前 に使われていた低い温度定格の O 種というのを Y 種に変更したという経過のようで す。

7. アレニウス(Arrhenius, Savante August)の生涯

アレニウスはスエーデンの化学者ですが、1859-02-19 にウプサラ近郊のウィーク で生まれ、1927-10-02 にストックホルムで没しました。幼いときから神童ぶりを 発揮し、3歳のときから書物を読んだといいます。入学してからの成績も優秀で、 高等学校卒業時は最年少でクラス一番でした。

ウプサラ大学在学中に、ほぼ1世紀前のデービー時代から未解決だった溶液中の電 気伝導の研究に着手します。ファラデーが発見した電気分解の法則は電気が小さな 粒子からできていることを示唆しますから、ファラデーは溶液中で電気を運ぶ粒子 として「イオン」(ギリシャ語で放浪者の意味)の存在を仮定しましたが、その本性 はわからずじまいで、この問題を解決したのがアレニウスです。

アレニウスの洞察は電解質のイオン解離で、当時疑問だった「非電解質物質の氷点 の低下が溶液中に存在する粒子の数に比例するのに、電解質の物質ではそれが2倍 になったり3倍になったりする」というという問題をきれいに説明できるのですが、 このアイデアは原子には内部構造がないと信じていた当時の化学者には飛躍のしすぎ で、帯電するための電荷がどこからきたのかとか、塩化ナトリウムのような安定した 物質が水のようなおだやかな物質の中に入るとどういう機構で簡単に分解するのかを アレニウスが自分の師匠であるクレーペに説明しようとしても断固として しりぞけられてしましました。

1884 年にアレニウスはイオン解離の理論を博士論文の一部としてまとめ、4時間 にわたる試験を受けた後、疑り深い試験官から最低の成績で合格させてもらいます が、丁度この時期に後に物理化学と呼ばれることになった新しい学問が誕生した ところで、この分野の巨星、ファント・ホッフとオスワルドがアレニウスの理論に 興味を持ち、オスワルドはウプサラに赴いて若いアレニウスと議論までしました。 こうしてこの3人は共同研究を始め、10 年にわたって化学界の小数派的理論を 構成することになります。

1889 年、アレニウスは化学反応の速度が温度と共に上昇するメカニズムを明らかに して、分子の反応に必要な活性化エネルギの存在という、触媒の理論に欠 くことができない概念を確立しますが、これが前記の絶縁材料の熱劣化の理論の基 盤になります。

1890 年代に入ってトムソンによる電子の発見、ベクレルによる放射能の発見によっ てようやく原子の内部構造が明らかにされ、アレニウスのイオン説が突然注目を浴 びることになりました。1895 年にストックホルム大学教授に任命され、1903 年には 博士号をとるとき最低の成績で通過した論文に対してノーベル賞が与えられます。

ノーベル賞の選考委員たちは物理賞にするか化学賞にするかで悩み、中には半分 づつ与えるという妥協案まであったようですが、20 年前にアレニウスの理論を斥け たクレーペはこの研究の重要性にもかかわらず、その中間的性格のため見落とされ がちであると主張して過去の失敗の償いをして、アレニウスの受賞を熱心に支持し ました。

その後、アレニウスは宇宙構造に興味を持ち、地球の生命体は宇宙空間から到達し た胞子に起因するといった、今では間違いがはっきりしたアイデアを信じたりもし ましたが、大気中の二酸化炭素には一種の保温作用があることを指摘して、現在に 通じる問題に道をきりひらいています。

1905 年ノーベル物理化学研究所長になったアレニウスはその死の直前まで在籍し ました。

8. 注

注1 - 反応速度係数

時間微分ですから、反応生成物がどの程度の速さでできるかを表しています。余計 なお世話ですが念のため。

注2 - Arrhenius の式

1889 年に Arrhenius は活性化エネルギが反応速度を決定する重要な因子であるこ とを指摘しました。平衡定数が二つの速度定数の比で表されることから、速度定数 の温度依存性と平衡定数の温度依存性が同じでなければならないと推論し、温度依存 性を決める「ファントホッフ」の式からの類推で (2.2) を求めたようです。

平林浩一, 1999-06